自己紹介

プロフィール

名前

やーぎ

年齢・性別

1990年生まれの男です。

出身

九州の大分県出身です。
※ちなみに生まれは神戸です。

家族構成

男・男・女・女の構成の4人兄弟の次男です。

在住

大阪府内に住んでいます。職場も大阪府内です。

職業・職歴

飲食店(焼き肉屋)⇒不動産売買営業⇒web系プログラマー・システムエンジニア
と転職を繰り返し、
現在は、会計システムの導入エンジニアをやっています。

今が4社目ですね。

20代にしては多い方です。

これまでには色々とあったのですが、
それは後述します。

趣味

スポーツ全般、アニメ、漫画、カラオケ(ヒトカラも含む)

性格

主観的には
自己中心的です。

基本理念というか、信念として「自分のことを一番に考える」に重きを置いています。

客観的にはどうでしょう。

自己中心的に見られていることは間違いないです。

基本的に人見知りが激しいので、話しかけるのが苦手ですね。

昔から「一緒にいて楽・落ち着く」「好かれるか嫌われるかのどっちか」
という言葉を、よく言われます。

喋ること自体は好きなので、仲がいい人とは結構喋ります。

家族、友人からは理屈っぽいと思われているでしょうね。

子供の頃から、自分で考えて納得いかないことは反発していました。

それは今でも変わりません。

嫌いなもの

  • 体育会系のノリ
  • 精神論
  • 清潔感のない人

今の職場に就職するまでの話

高校卒業後は専門学校に進学

数店舗を経営する飲食店のオーナーになりたくて、
辻調理師専門学校に入学しました。

しかし、たったの2か月で退学することになってしまいました。

私は元々、
辻調理師専門学校の卒業後に行ける、
経営が学べる「辻調理技術研究所」という上級学校に行きたかったのです。

辻調理技術研究所の学費は奨学金を借りて行く予定でしたが、
それ以前の辻調理師専門学校の学費が払えなくなってしまい、
泣く泣く退学の道を選びました。
※参考までに両方の学費となると500万~600万くらいします。

元々、大学進学を諦めた理由も、金銭的な理由が大きかったので、
さすがにそんな額を奨学金借りてまで続けようとは思いませんでした。
※既にバイトを二つ掛け持ちしていて、あの頃はカツカツでした。

初めての就職は焼肉屋

専門学校時代から続けていたバイトが大阪の難波にある居酒屋でした。

学校を辞めることになったので、
フルで入れてもらうようにしていたのですが、
なんとその一か月後に居酒屋が潰れました。

このタイミングは「死」を覚悟しましたね。

そこで一人暮らしを辞め、
神戸に住んでいる祖父母の家に居候させてもらうことになりました。

しかし、生活費は入れる必要がありましたので、
急いで就職する必要がありました。

高卒で専門学校を中退したような人がすぐに働けるようなところは、
飲食店しか思いつきませんでした。

そして焼肉屋に就職することになったのです。

次の職場は地獄の不動産売買営業

ひとまず焼肉屋で働き、お金も少し溜まったので、
まずは自動車免許を取ることにして、転職活動を始めました。

でも、私は考えました。

飲食店しか経験のない高卒が働けるようなところは、
まともな職場じゃないでしょう。

そこで私は「初めの転職先は修行期間にしよう」と決めました。

そして、「営業さえやっておけば、後はどうとでもなる」⇒「どうせやるならきつそうなところにしよう」
という理由で不動産の売買営業を選びました。

しかし、そこがまさか、
他の不動産営業マンからも引かれるほどのブラック企業だとは思いませんでした。

そこで私は1年ちょっと働いたのですが、
本当につらかったですね。

一番つらかった時期は「この社長を刺して刑務所に入るのと、このまま続けるのとどっちが楽か」
というのを本気で考えていました。

辞めてからは「あぁ。あの時はおかしくなってたんだな」と気付きましたが、
追い詰められて視野が狭くなっていたんですね。

3社目はこれからの職種を決める会社

ついに地獄から抜け出すために転職活動を始めました。

いくつか色んな職種の面接を受けましたが、
面接官の常務が面白かった特定労働派遣会社の客先常駐プログラマーとして入社しました。

その面接で、プログラマーやシステムエンジニアは、
論理的な思考とコミュニケーション能力が必要だという話を聞いて、
「もしかしたら向いてるかもしれない」と思ったのです。

実際、私は向いていたようです。

残業も多く(多い時期は100時間を超えるほど)、色々な事件は起きましたが、
あれだけ前職では「出来ないやつ」扱いされていた私が
「その年代では断トツ」という評価を、
色んな方からいただけるようになっていたのです。

上司にも恵まれており、仕事中にわからないことや納得いかないことがあった際、
「上司と納得いくまで議論」することが出来たのが大きかったですね。

ここで経験したフェーズは、テスト・プログラム・設計で、
立場はチームリーダーまでです。

4社目は今の職場

さて、前の職場は雰囲気も良く働きやすかったのですが、
給与が低すぎました。

評価はされていたので、毎年の昇給率はトップだったのですが、
元が低過ぎるため、昇給しても本当に低かったですね。

収入を上げるためには、もっと上流の仕事をするしかないと思っていたのですが、
前の職場ではそれは難しかったのです。

そこで私は、現在の職場に転職しました。

転職活動自体は長かったです。

転職エージェントも数社使い、数十社面接しました。
※条件も評判もいい会社は、書類で落とされました。

面接した企業からは、内定も数十社いただけました。

しかし、現実は厳しく、条件を絞っていた私は、内定辞退を繰り返していました。

そこで就職したのが、今の職場です。

パッケージの導入エンジニアは、顧客均衡や要件定義が主な仕事です。

仮に数年後にまた転職するとするならば、上流工程を経験可能な今の職場に魅力を感じました。

結果的に、私の選択は正解でした。

今の職場で年収は数十万アップし、残業もほぼ無く、
職場の雰囲気も悪くありません。

まとめ

今の私は、まったりと働きながらブログを書いています。

このブログ収入が月30万円を超えるようなら、会社を辞めて独立することでしょう。

こんなに色々あった私でも、後悔しながら今は楽しく生きています。

こんな私でも、何か伝えられることがあるかもしれません。

今後、私が書いた記事で誰かを救えるかもしれません。

そうなれば、私のこれまでも無駄じゃなかったんだと思えます。

そうなれるよう、今はブログをひたすら続けています。