「人のためになるように行動している」と思っている人はいませんか?その考え、どうなんでしょうか?
論理学には、心理的利己主義という考えがあります。
簡単に説明すると「人のために何かをしていると思っている行為も、もっと深層心理としては自分のためにしている行為である」という考え方です。
今回は、「人のため」「利己主義」「利他主義」「人の役に立つ」といった考え方について考察しました。
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「利己主義」とは?
世間では、「利己主義」や「利己的な人」というのはイメージがよくありませんよね。
しかし、世間のイメージである「利己主義」は、「利己主義」のほんの一面に過ぎないのです。
論理学では、「心理的利己主義」と「論理的利己主義」という考え方があります。
根本的に、「自分の利益を考える」というのは変わらないのですが、少しだけ解釈が違います。
心理的利己主義とは?
「利己主義」の一面である「心理学利己主義」についてですが、どういうものなのか少しだけ具体例を出して説明します。
あなたが電車に乗っていたとします。
そこに非常に辛そうな高齢者の方が乗ってきました。
あなたは席を譲るでしょうか?ここでは譲ったとしましょう。
では、何故譲るのかを一度考えてみてください。
「常識だから」や「当然だから」「人を助けるのに理由はいらない」などは考えたことになりませんので、一旦ここでは無しとします。
考えましたね?考えたら以下の内の、どれかに当てはまるか見てください。
- 大変そうだから
- 自分なら譲ってほしいなと思うから
どうでしたか?当てはまるものはありましたか?当てはまるのであれば、あなたは「利己主義」です。
「何でこれが利己主義になるんだ!」と思うかもしれませんので、解説します。
では、上記の理由だったとして、あなたが席を譲らない場合に、あなたはどういう気分になるかを考えてみてください。
おそらく、なんか気分が悪いというように思うのではないでしょうか?
そうです。つまり、結局は自分が気分が悪くならないために、席を譲っているということです。
これが「心理的利己主義」という考え方です。
論理的利己主義とは?
続いて、「論理的利己主義」についてです。
「論理的利己主義」の考え方は、利己的な行為というのは、結果的に社会にとっての利益となる、または社会にとっての利益というのは、自分の利益につながるという考え方です。
利己主義でも人の役に立つ
ここで主張したいのは、「利己主義(利己的)」であっても、人の役に立つということです。
そうです。「利己主義(利己的)」に生きるということは、自分勝手に生きるということではないのです。
利他的に生きるよりも利己的に生きる方がお互いに得
世間では「利他的」な生き方、つまり利他主義の人が持てはやされがちですが、前述の通り、「心理的利己主義」の考え方では、「人のため」なんていうものは、存在しないという考えです。
そして、自分のことを「利他的」だと思っている人に多いのが、「感謝されない場合に、嫌な気持ちになる」ということです。
「こんなに尽くしているのに」「こんなにしてあげたのに」と思う人が多いんですよね。
そうなってしまえば、「利他的」にした行動が結果的に相手にとって不利益になることも多いです。
しかし「心理的利己主義」を自覚している人は、「ただ自分がやりたいだけ」と思っているので、感謝されなくても何も思いません。
これが「利己的」に生きる方が、お互いの得になるという根拠です。
どうせ人の役に立つなら、自分も利益を得よう
「心理的利己主義」も「論理的利己主義」も自分の利益のことを考えているにも関わらず、結局は人の役に立つ行動を取ります。もちろん、自己犠牲精神も「心理的利己主義」に含まれます。
それなら、いっそのこと自分は「利己的」に自分がやりたいことをやっていると自覚した方が、「感謝されない」などの見返りがないことにも嫌な気分になりません。
どうせ人の役に立つんです。であれば、「利己的」に生きてみてはどうでしょうか?